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『キャントば』は『ロッキー』である――ゴージャス宝田『キャノン先生トばしすぎ! ぜんぶ射精し!!』

2016年のエロ漫画関連ニュースの中で私にとって特に大きな驚きだったのは、
2008年にオークスから一度刊行され、その後絶版となっていた、ゴージャス宝田『キャノン先生トばしすぎ!』の再販であった。※0

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そもそもエロ漫画が装いを変えて再販されること自体が珍しいことだが、
口リ作品である『キャントば』が、巨乳ヒロインがトレードマークのエンジェル出版から再販されるというのだ。
このような異例の出来事が実現したのもひとえに『キャントば』が、
エロマンガを代表する名作として、エロマンガファンの広くはない枠を超えるほどの支持を集めているからであろう。



・『キャントば』はなぜ感動的なのか?



『キャントば』は、思うように活躍できないまま中年に差し掛かった遅筆のエロマンガ家である貧太(表紙の男性)が、
大ヒットエロマンガ家でありながら未成年の少女であるキャノン先生(表紙の少女)と愛を深めつつ、
作家として再起しようと奮闘する物語だ。


本作はエロマンガ界でも特殊な立ち位置を持つ作品である。というのも、稀見理都がすでに指摘しているように、
「抜く」ことを究極の目標とするはずのエロマンガでありながら、「エロいか否か」とは別の軸――つまり「感動」という軸で、
広く高い評価を受けているのだ。※1
では『キャントば』が「感動の名作」として受け入れられることになったのはなぜだろうか?


一つの可能な説明は、『キャントば』が伝えているメッセージにその原因を求めるものだ。
後に詳しく確認するが、『キャントば』は「エロ漫画とは何か?」「人間にとってエロとは何か?」という問いを投げかけ、
答えとして力強くエロ漫画やエロを肯定するという、「メタエロ漫画」としての性格を持っている。
そのメッセージが、特にエロ漫画読者にとって感動的である、というのは、
『キャントば』への賛辞としてしばしば語られることである。


しかし、この説明はどこまで説得的だろうか?
新装版のカバー下で宝田自身が語っているように※2、『キャントば』の顕著な達成の一つは、
それまでエロマンガを読んだことがないような読者にまでリーチし、評価を勝ち得たという点にある。
このことを考えるとき、『キャントば』のもつ感動を、「エロ漫画賛歌」によって説明することは、
一見するほど有効でないと言わざるを得ないのではないか。


また、そもそも良いメッセージを語っていることが、必ずしも感動的な漫画を生むことにはならない。
漫画はスローガンや論文ではない。重要なのは、メッセージをどのように作品としてパッケージするかという点にある。



・メッセージからドラマへ。『キャントば』=『ロッキー』説



思うに『キャントば』が感動的なのは、そのメッセージの感動と同程度、あるいはそれ以上に、
そのドラマの持つ構造の強靭さに理由がある。
単刀直入に結論を述べれば、『キャントば』が感動的なのは、
『キャントば』が『ロッキー』であり『ロッキー』が感動的であるからだ、と言いたい。


『ロッキー』は、1976年に公開された、S・スタローン脚本・主演のボクシング映画である。
今更説明するのも馬鹿馬鹿しいほど有名な作品だが、負け犬ボクサー・ロッキーが、
人生の逆転をかけて世界チャンピオンとの試合に挑む、というお話の映画だ。


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↑私などはポスターを見ているだけでもう泣けてくる


・『ロッキー』と『キャントば』 人物関係の視点から


『ロッキー』と『キャントば』が、そのドラマ・ストーリーに注目したとき、いかに似ているのか。
まず人物関係という側面から見てみよう。


『キャントば』は、うだつのあがらない中年エロ漫画家・貧太が主人公だ。
彼はキャノン先生という恋人と出会い愛をはぐくむ。
彼の前には若手のホープ・海乃がライバルとして立ちはだかる。
キャノン先生の愛と、編集長の厳しい叱咤を受けながら、
貧太は自らの作品を書き切るべく努力する。


一方『ロッキー』は、うだつのあがらない中年ボクサーロッキーが主人公であり、
彼はエイドリアンという恋人と出会い愛をはぐくむ。
後に生涯のライバルとなるアポロ・クリードに対峙し、
エイドリアンの愛と、老トレーナーミッキーの叱咤とともに、
タイトルマッチを戦い抜く。


このように整理すると、


貧太ロッキー
キャノン先生エイドリアン
海乃アポロ
編集長ミッキー



という形での対応が見えてくるだろう。
つまり、メインキャラクターとその間の人物関係が、ほとんど一対一で対応しているのである。
(ただし、エイドリアンの兄・ポーリーは『キャントば』に対応するキャラクターがいない。
また当然だが対応づけられたキャラがなにからなにまで全く同じ存在だというわけでもない。
あくまでそれぞれの人物の役割と相互関係が、ある程度類似している、ということである)


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↑貧太、キャノン先生、海乃、編集長。ロッキー、エイドリアン、アポロ、ミッキー、にほぼ対応する


『ロッキー』は、その名前に反し、ロッキーだけの物語ではない。
ロッキーを取り巻く人々がそれぞれに抱えているドラマや、彼らとロッキーとの人間関係といったサブプロット群が、
メインプロットに有機的に絡むことで、豊かな感動をもたらしている。
『キャントば』もまた同様である。上述の人間関係に基づいて、
非エロシーンにページを割きづらいエロ漫画というメディアにおいては例外的なほど、複雑なサブプロットが語られる。
そうした枝の一つ一つが幹であるメインプロットに一気に合流し、物語全体を解決に導くという展開の妙が、
『キャントば』終盤の感動を生んでいるのだ。



・『ロッキー』と『キャントば』 主人公の動機という視点から



次に、メインプロットの骨格をなす、主人公の動機に目を向けてみよう。
『ロッキー』も『キャントば』も、どん底に陥った主人公が、
自らが戦うべき・ペンを振るうべき動機に立ち返ることによって復活することが、
クライマックスの解決に向けての「てこ」となる。
その場面で主人公が話すことになるセリフを振り返ってみよう。


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アポロ・クリードとの戦いの前夜、今までに立ったことのない大掛かりな試合会場を下見したロッキーは、
自らがとてもチャンプになれる器ではない、ということを悟ってしまう。
弱気なロッキーを慰めようとするエイドリアンに、彼は次のように話す。
「だめだ。勝てないよ。(中略)だがどうでもいい。負けてもどうってことはねえんだ。脳天を勝ち割られても関係ない。最後までやる(go the distance)だけだ。クリードと最後までやりあった奴はいない。もし俺が15ラウンド戦って、ゴングが鳴ってもまだ立っていられたら、おれは初めて、自分がただのごろつきじゃないって実感できる


一方で、原稿を雑誌に載せることができる最後のチャンスにもかかわらず、期限までの入稿が絶望的になってしまった貧太は、
自らがなぜエロマンガ家を志したかを思い出す。
オタクが迫害されていた時代(本作には宮崎事件の記憶が投影されている)を過ごしていた少年の彼は、
イジメを恐れ、自らの趣味嗜好を隠し生きることに疲れ切っていた。
そんなとき彼は道端でエロマンガを拾い、欄外の落書きの内容に涙を流す。
「こんな時代にっ…きっと/たくさんの人が見ているハズのマンガの中にっアニメの中の少女が「好きだ」って…(中略)僕も叫んでみたいっ/この作者みたいに…/僕だって美少女が好きだぞって…/アニメやマンガの女の子が好きで…僕はオタクだぞ…って


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自らの原点を辿りなおした貧太は、間に合うはずのない原稿に向かい、キャノン先生に宣言する。
間に合わないかもしれません…いえっ間に合うハズがありませんっ/わはははははっ/でもやるんですっ僕は…/やらずにはおくものかっ」


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二人のセリフは一見全く違ったトピックについて語っているようで、本質的な2つの点で共通している。
一つ、両者にとってそれぞれの仕事(ボクシング・エロ漫画)が、
自らのアイデンティティの根拠となっているという表明である。
そしてもう一つはそれゆえに、自らが納得できるまでやるということが重要なのであり、
客観的な成功(タイトル獲得・期限内の入稿)は二の次であるということだ。
本当に重要なのは相手や締め切りに勝つことではない。自分自身を恥じないためのプライドを掴むことだ。
そのために戦うからこそロッキーのボクシングは、そして貧太の努力は胸を打つのだ。


・『キャントば』が『ロッキー』を超えた場所



以上のように、主人公を取り巻く人物関係、および主人公の動機という二つの面から、
『ロッキー』と『キャントば』のストーリーの類似性を見て取ることができる。
『ロッキー』のストーリー構造が優れており、
そこで描かれるドラマ――負け犬のプライド、不器用な青春と愛、師との衝突と和解――が多くの観客の共感を誘ってきたということは、
『ロッキー』が歴史に残る名作とされ、いまだ多くの涙と感動をもたらしていることで証明されている。
『キャントば』が感動的なのは、このような強靭な脚本の構造を、
(実際の影響関係はどうあれ結果的には)エロ漫画についての話として見事に換骨奪胎し、
語りなおしているからなのだ。


ただしもちろん、『キャントば』は単に『ロッキー』を"移植"した作品ではない。
『キャンとば』にあって『ロッキー』にない美点として、キャノン先生のキャラクター設定がある。


『ロッキー』におけるエイドリアンは、基本的にはロッキーを支える存在として設定されており、
彼女自身のこだわりや欲望といったものはあまり前面に出されない。
彼女がロッキーを叱咤できるほどの積極性を得るまでには、『ロッキー3』まで待たねばならない。
対して、キャノン先生は、貧太をけなげに愛し、彼を支える少女としての側面をもちろん備えているが、
同時にエロに関する重大なトラウマを克服しようという自分自身の動機を持ち、
さらに、一流エロ漫画家として貧太を導く存在でもある。
このような複雑な性格と確かな自我のおかげで、キャノン先生はとても魅力的なヒロインとなっている。



(続きます。次回は、『キャントば』のメタエロ漫画としての性格を分析します。個人的には『キャントば』は優れた作品だと思いつつもどうしても好きになりきれない点があるのですが、その理由なども説明するつもりです。)

===========

※0この記事、及びこの記事の続編は、実質的にはエロマンガ夜話第二回で新野が語った『キャントば』論の要約・敷衍です。ただし初期の夜話は時間も長く、語りもダラダラしているので、やや聞きづらいものとなっております。そこで今回、簡潔にまとめ、画像も入れて文章化することにしました。

※1「しかし、抜けてなんぼ!というエロマンガの価値基準が大部分を占める世界において、感動、喜びが、抜き至上主義より勝った!という出来事は、ある意味エロマンガ界に新しい価値基準を提示し、そして読者がそれを支持した結果であろう。」”少女キャラクターから見る、ゴージャス宝田の作品論”

※2「前回単行本化の際には『それまでエロは読んでなかったケド今回はじめて読みました!』等のお手紙をたくさん頂きました。」『キャノン先生トばしすぎ ぜんぶ射精し!』裏表紙カバー下

エロマンガ夜話第34回 関谷あさみ『僕らの境界』(訂正補足あり)

毎回1つの成人向けマンガを選んで語り尽くすツイキャスエロマンガ夜話。
 1/29の第34回放送では、関谷あさみ先生の『僕らの境界』を、レギュラーメンバー

新野安@atonkb
まいるど@mairanaid


およびゲストの雪子さん

で語りました。



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 ログはこちら。

 
その1
 その2
 その3
 その4

 キーワード:男性の内面の逡巡/24年組/内面の時間と現象の時間/現実への対峙/着衣/山本直樹/怒るべき対象のなさ/画面の白さ/寝取られにおけるSとM/技巧派/少女崇拝のあり方/LO的自意識/日常との地続き/射精を過剰に盛り上げない/なぜ山は二回現れるのか/なぜヒロインが斜めに描かれるのか


次回は2/12 23:00より、鬼ノ仁先生の『僕の麻利恵さん』を扱います。

配信URLはこちら

新野安@atonkbのツイッターアカウントで情報をご覧ください。



・訂正と補足



今回のツイキャスで新野が話した内容について二点訂正・補足いたします。

2枠目の12分半以後において新野は、関谷あさみ先生の表現上の特徴として、「うるんだ瞳+はわわ口(波のような曲線によって描かれた口)」によるキャラクターの表情付けがあると主張しています。

メインの論点自体は正しいものであると今でも考えておりますが、放送後検討した結果、付帯的に指摘した点について、訂正と補足(および追加調査)が必要であるという結論に至りました。



・「うるんだ瞳+はわわ口」の登場時期について



ツイキャス中で新野は「うるんだ瞳+はわわ口」が『YOUR DOG』以降顕著になった表現であると発言していますが、
実際には『YOUR DOG』の段階では「うるんだ瞳+はわわ口」はあまり登場していません。

では登場したのはいつごろからになるのかということになりますが、手元の資料を確認する限り、

『YOUR DOG』(2007年刊行・商業誌)……ほとんど登場しない
『LUST KING 採録本』(2010年刊行・同人誌)……2009年発行の同人誌を再録している部分では、萌芽的に登場しているが、口の変形は明確でない(はわわ口と断定できるほど変形しているコマは多くない)。また、書き下ろし部分は比較的口の変形が明確。
『In The Milk』シリーズ(2013-2015刊行・同人誌)……はわわ口と問題なく認定できる描写が要所で登場している。
『僕らの境界』(2015年刊行・商業誌)……全編にわたり登場。特に再度再録されたLUST KINGシリーズでも、加筆修正によって口がはわわ化している。

という具合です(統計を取ったわけではないのであくまで印象になりますが)。以上の情報から言える当座の結論としては、「2010年前後から萌芽的に登場し、2015年の時点では全面的に使用されている」ということになるでしょう。
これ以上明確な情報を得るにはさらに追加調査が必要になるでしょう。結果が出たらこちらのページで報告したいと思います。


・岡田コウ先生との影響関係について


ツイキャス中で新野は「うるんだ瞳+はわわ口」という表現上の特徴に基づき岡田コウ先生の作品との類似を指摘しています。
お二人の間の影響関係については可能性を示唆するだけにとどめています。
お二人の間の影響関係が時期的に可能であったのかという点について、情報を少し補足いたします。


時期的に見てみると、岡田コウ先生が商業デビューされたのが2006年であり、初の男性向け単行本『恋するぱんつ』が出版されたのが2009年。
『恋するぱんつ』の時点でわわ口+うるんだ瞳はある程度登場しています。
そのため、先ほど確認した、「関谷あさみ先生においてうるんだ瞳+はわわ口が2010年前後から萌芽的に登場し、2015年の時点で全面的に使用されている」という情報だけに基づくならば、
やや時間間隔の狭さがシビアではありますが、岡田コウ先生から関谷あさみ先生への影響があったことが即時期的な矛盾をもたらすということにはなりません。
というわけで、ツイキャス中で示唆した可能性は時期的には閉ざされてはいないということになります。


もちろん、関谷あさみ先生における「うるんだ瞳+はわわ口」の登場時期がより明確に特定できることによって時期的な矛盾があらわれてくる可能性はあります。
さらに、岡田コウ先生から関谷あさみ先生へ影響があるというよりは、別のルーツがあるというような可能性もあります。
この論点について私としてもそれほど強いコミットメントをするつもりはございません。
「うるんだ瞳+はわわ口」の系譜についても、より確定的な情報を得るには追加調査の必要があるということになるかと思います。

ツイキャスエロ漫画夜話・放送リスト

第一回 ゼロの者『わすれな』
第二回 ゴージャス宝田『キャノン先生トばしすぎ!』
第三回 たけのこ星人『カクセイ彼女』
第四回 井雲くす『僕だけの夕闇』
第五回 成島ゴドー『牝化計画』
第六回 世徒ゆうき『アラルガンド』
第七回 新堂エル『TSF物語』
以上の過去ログはこちら
第八回 赤月みゅうと『少女×少女×少女』
第九回 山文京伝『紗雪の里』
第十回 A-10『Lord Of Trash』
第十一回 ぐじら『ギャルとかビッチとか色々。』
第十二回 師走の翁『宴』
第十三回 駄菓子『契りの家』
第十五回 へんりいだ『はつこいりぼん。』
第十六回 山本直樹『BLUE』
第十七回 Fue『フェラピュア』
第十八回 マイノリティ『はちみつドロップ』
第十九回 月野定規『アフタースクール』
第二十回 オオハシタカユキ『パラふり』
第二十一回 流一本『僕の知らない彼女の淫貌』
第二十二回 DISTANCE『じょしラク!』
第二十三回 月吉ヒロキ『独蛾』
第二十四回 さらだ『しょうびっち』
第二十五回 しいなかずき『奪われて与えられたもの』
第二十六回 なぱた『ぱんでもにうむ』
第二十七回 狩野ハスミ『連結方式』
第二十八回 オイスター『人デ無シ乃宴』
第二十九回 緑のルーペ『イマコシステム』
第三十回 香吹茂之『美脚が欲しいんでしょ!?』
第三十一回 師走の翁『精装追男姐』
第三十二回 すずはねすず『魔獣浄化少女ウテア』
第三十三回 御免なさい『だから神様、ボクにしか見えないちいさな恋人をください。』
第三十四回 関谷あさみ『僕らの境界』
第三十五回 鬼ノ仁『僕の麻利恵さん』
第三十六回 ディビ『その指先でころがして』

2月のエロ漫画購入予定

最近エロ漫画の買いすぎで破産寸前なので、「酒とエロ漫画の日々」さんにならって、前もって購入リストを作っておこうと思い立ったその2。

ソースはまんが王さん。

月別発売リスト (成年・準成年コミック) 2月



個人的要チェックリスト…
三上キャノン『彼女の雌顔』
児妻『金曜日の妻たちへ』
ぞんだ『人妻×寝取られ』



今月は児妻先生&ぞんだ先生によるティーアイネットの二冊に期待してます。特に児妻先生は前単行本がとてもよいママショタだったので期待。
その他は立ち読みして何買うか決める感じになりそう。ぐじら先生の『かわいい少年は好きですか?』はCG集とか同人誌の再録かな?

このふざけた時代へようこそ――香吹茂之『美脚が欲しいんでしょ!?』

※元は香吹茂之先生の最新刊『即絶頂』のレビューを書くつもりだったのですが、書き始めるとどうしても『美脚が欲しいんでしょ!?』に触れざるを得なくなったので、その部分だけを文章化することにしました。
実質的には以前ツイキャスで話したことの要約に近い文章ですが、ご笑覧ください。

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劇画的なタッチで描かれたいかにも気の強そうな美女が、
ボンデージに身を包みこちらを挑発する。
香吹茂之『美脚が欲しいんでしょ!?』の表紙を見て、「引いて」しまう人も多いだろう。
生真面目なまでにSMの理念に忠実なその真剣さは、見るものをたじろがせても仕方がない。
ところがそれは見かけだけのことにすぎない。香吹茂之の本質は、実はその不真面目さにこそある。


・『北斗の拳』のパロディ


『美脚が欲しいんでしょ!?』は、(カラーページで描かれるプロローグの後)こんな宣言から始まる。
「西暦20XX年、世界経済は崩壊した」
「物流は途絶え/インフラは崩壊/続く暴動・内乱/略奪のすえに/あらゆる産業は死に絶えた/
……だが/人類は絶滅してはいなかった……!」
立ち昇るキノコ雲。地平線まで続く荒野。現れるモヒカンの悪人達。
彼らを蹴散らすのは、拳法「怒鋭襲流昇天脚(どえすりゅう・しょうてんきゃく)」の使い手、条欧沙魔子(じょうおう・さまこ)。
自らをかつて倒し・犯した、謎の女を犯し返すため、暴力の支配する荒野を旅しているのだ。


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↑ふざけた時代にようこそ



そう、本作は『北斗の拳』のパロディだ。いや、『北斗の拳』だけではない。
女が復讐のために旅を続けるという物語の構図は、『修羅雪姫』を代表とし近年では『青猫について』という傑作を産んだ系譜に基づくものであるし、
とある悪役キャラクターのコスチュームは「ストレッチマン」に酷似しているし、
主人公やライバルたちが操る拳法に付けられるもっともらしい解説は、『魁!男塾』を連想させる。
果ては、「群馬最速を目指す走り屋たちの聖地」「日本じゃ二番目だ」といった細かい台詞まで、
本作は他の漫画・映像作品を連想させる描写に満ちている。



・香吹茂之の不真面目さ




無論エロ漫画にパロディという手法はありふれたものである。
が、本作をそうした「ありふれたもの」の一つとみなすのは無理があろう。
拳法家同士のぶつかり合いを描くアクションシーンは、肝心のSMプレイの描写を明らかに圧迫している。
小刻みに挿入されるパロディは、「俺の名は――狼!弩円舞谷狼(どえむや・ろう)!」などという崩壊した言語感覚の台詞と相まって、
「実用的」な読書に必要な注意力を散らせる。
つまるところ、エロを主目的にした作品の中で、アクセントないし副目的としてパロディやギャグをやっているとはとても思えない。
エロさと同等、ないし、エロさを妨害したとしても追求すべき目標として、パロディやギャグをやっているように見えるのだ。


つまり、香吹茂之は、エロやSMだけを真剣に追い求めているわけではなく、「下心」のある作家なのだ。
『美脚が欲しいんでしょ!?』も、ドM専用というわけではなく、見た目よりずっと親しみやすい作品である。



・真面目に不真面目であること



ただし、香吹茂之の不真面目さは並大抵のものではない
「モヒカン闊歩型世紀末でエロ漫画」という、居酒屋で冗談めかして語るような話を、
数百ページ分の長編としてきっちり描ききってみせる。



「なぜ経済崩壊でキノコ雲が上がるんだ!?」などとツッコミを入れ、
薄ら笑いを浮かべながら読んでいた読者も、
まずは剛乳流柔術・ユカリとの対面のシーンにただならぬものを感じ取るだろう。


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↑名乗り合う二人。パースと動線が衝撃を強調する



ここで沙魔子の取る構えの美しさ。
加えてそこには、これまでの動きの勢いと余韻があり、これからとる動きへの構えと緊張がある。
香吹の描く女性のポーズは常に優雅で、特に女体の作る"ひねり"が艶めかしい。
そして彼はエロ漫画界には珍しいアクションの描ける作家でもあり、その絵にはきちんと動きがある。
本作で描かれる拳法家同士の戦闘には、香吹の画力がいかんなく発揮されている。


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↑通称(?)「最も美しい金蹴り」。イナバウアーのようだ。

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↑いかにも香吹的なひねりの利いたポーズ。名乗りシーンほど派手ではないが、足を強調するパースも芸が細かい。



美しさだけではなく、本作の戦闘シーンにはきちんとロジックがある。
相手がこんな技を出したからこんな技を出す、
こんな技を出せば相手がこう動くからそれを読んでこう動く……というような、
格闘漫画らしい技の読み合い・掛け合いが描かれている(技自体は電気アンマなどだが)。


さらに主人公である条欧沙魔子も魅力的だ。
かつては少女らしい少女でしかなかった彼女は、ある女に倒され犯されることによって、
自らに眠る女王の血を目覚めさせる。
彼女が戦うのは人助けのためでも、仇を取るためでもない。
他者を蹂躙する悪を倒し足蹴にすることによって、「ドSを超えたドS」としての、
嗜虐の悦びを得るため
なのだ。
「これは復讐ではない……欲望だ」とうそぶく沙魔子。
読者もいつの間にか、彼女の痛快なエゴイズムに喝采を送り、
そして最強ゆえの孤独に震えるラストシーンの彼女に涙することになるだろう。


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↑決め台詞。第一話と最終話で反復され、ストーリーの輪を閉じる


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↑頂点ゆえの孤独。最強の女王となったそのとき、ひとりの少女に戻る沙魔子。


迫力と美に満ちた戦闘シーン。殺るか殺られるかのサスペンス。強烈な動機と魅力的な歪みを持つ主人公。
そう、本作はあまりの不真面目さゆえに、大真面目にパロディに精を出すこととなり、
『北斗の拳』、『修羅雪姫』といった漫画の本質まで移植してしまった。
結果、パロディの範疇を超え、独立したバトルアクション漫画として成立してしまっているのである。




・何を読んでいるのか




無論、本作がエロくないわけではない
ちゃんと一定の量のセックス描写は用意されているし、プレイも濃厚だ。
だが明示的にエロシーンとして用意されたコマよりも、
格闘アクションでの沙魔子の妖艶な表情や美しい姿勢の方が、ずっと興奮を掻き立てる。


『美脚が欲しいんでしょ!?』は、不真面目なパロディを徹底するほどに、
バトルアクション漫画として、あるいはエロ漫画として真面目になっていくという奇妙な作品だ。
不真面目な傑作の多い香吹の中でも、「何を読んでいるのかわからないがとにかく面白い!」という
目眩のする快感
を最も感じられる。
一味違うエロ漫画を読みたい諸氏には絶対にお勧めできる一作である。
プロフィール

Author:yawa.ero
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